台湾と蒋介石・国民党政府

・<蒋介石と大陸反抗

かっての台湾は、戦後中国大陸から毛沢東に追われやって来た蒋介石
総統が率いる国民党政府の官僚や軍人が行政を握り、絶対的な権力を
振っていました。

印象的だったのは、街は戒厳令下にあり通りや建物のあちらこちらに
母忘在呉」(呉に在るを忘れるなかれ)と「大陸反抗」というスローガンが
目につきました。

後で分かったことですが、「母忘在呉」という標語にまつわる面白い話が
あります。

・臥薪嘗胆と呉越同舟

中国の春秋時代(前770年〜前403年)に長江(揚子江)下流の覇者
呉王闔閭(コウリョ)は、隣の国の越王勾践(コウセン)との戦いに敗れ、
臨終の床に息子の夫差(フサ)を呼んで仇を取るように言い残して亡く
なりました。

夫差は、仇を討つため常に薪の中に臥して身を苦しめ2年後に越に攻め
込んで越軍を打ち破りました。

越王勾践は降伏し、やむなく妻の西施(中国四大美人の一人)を夫差に
さしだし、呉の属国となることを誓わせられました。

越王勾践は、座右に豚の肝をおき、座ったり寝る度に苦い肝を嘗めて、
呉王夫差にたいする復讐を誓いました。

その後、越王勾践は夫差が他国と戦っている隙をついて、ついに呉国を
攻め、急遽帰ってきた夫差の軍勢を打ち破り、越の国を復興しました。

これが有名な「臥薪嘗肝」(復讐の志を抱いて長い間艱難辛苦することの
意味)の復讐の物語です。

また呉と越との抗争にからんで「呉越同舟」(仲の悪い人同士が同じ場所
や境遇に並び立っていること)という言葉も生まれ、現在もよく使われて
います。

中共から大陸を追われた蒋介石が、いつの日かは必ず中国大陸に
復帰し、中華民国の花を咲かそうとする反抗精神を国民大衆に訴えた
かったのでしょう。

・蒋介石と独裁政府国民党

私はかって台湾・台北市に拠点を持つ航空会社に勤めていました。
大阪支店のセールスマネージャーだった私は月例の営業会議に出る
ため、その後の旅行会社時代を含め、台湾へは100回以上は行った
でしょう。

当時の台湾は、戦後中国大陸からやてきた蒋介石と中華民国国民党
政府の官僚と軍人(外省人という)が行政の実権を握り、絶対的な権力を
振るい戦前から住んでいた台湾人(内省人という)を抑圧していました。

中高年の皆さん元気を出して、頑張りましょう。

次の記事は、台湾の酒家と北京ダックです。


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