慈悲深く、がんこなおばあさん、マザー・テレサ
慈悲深く、がんこなおばあさん、マザー・テレサ
マザー・テレサに合えたのもこんな方法で。
先回、日本から行った70名が、マザー・テレサにお会いした話を
しました。
それには、前もった準備がありました。
インド・ピースツアーが出発する2ヶ月前、私はセレモニー開催と
ピースポール建立の準備のためカルカッタ(コルコタ)へ行きました。
インド最大の都市カルカッタ(コルコタ)は、20世紀始めの英国
植民地インドの首都として栄え、独立後も産業・商業の中心地で、
人口約900万人の都市です。
初めての都市で右も左も全く不案内です。
来る前に航空会社の友人の友人である貿易商が唯一の頼りでした。
着いて直ぐその人を訪ね、キリスト教会の神父さんを紹介して
もらいました。
その人からいろいろな人に繋がり、やっと段取りが整いました。
やれやれと安堵したのも間もなく、何故かわからないがマザー・
テレサのことが頭に浮かんできました。
そうだ彼女はカルカッタ(コルコタ)に住んでいると聞いたことが
あります。
早速、英語とベンガル語を話せるガイドさんに頼んでマザー・テレサ
の祈りの家へ連れて行ってもらうことにしました。
ガイドさんが言うのには、彼女は世界中を飛び回っており、あまり
カルカッタには居ることがないと。
叩けよ、されば開かれん!
兎に角行ってみようと彼を引っ張り出しました。
着いたところは、ぐるりと塀に囲まれた粗末な修道院のようなところ
です。
勝手口のような扉を見つけ、どんどんと叩きました。
暫くしてシスターとおぼしき少女が顔を出したので、訪問の意図を
言って、日本からマザー・テレサに会うために来たと告げました。
ぜひお会いしたい旨を、強く訴えました。
数分後、少女がまた顔を出し、先生はお会いするからと言いました。
わあ、なんとラッキィ!飛び上がらんばかりの気持ちです。
案内してくれた部屋は、四畳半ぐらいのところで、木製の小さな机の
上に書類が数センチほど重ねてありました。
隅には、ロンドンから来たという記者が座っていました。
挨拶もそこそこ、世界平和の祈りのことやその展開振りを説明
しました。
2ヶ月後に、日本から70名ほどのピース・ミッションがここを訪れ、
マザーと一緒にぜひお祈りできることを切望していると懸命に口説き
ました。
マザー・テレサは、その頃カルカッタに居ればお会いしましょうと言って
くれました。
その時感じました。これは私の意向が成さしめたのではなく、みんな神の
み計らいによるものだと。
横のガイドは感激のしっぱなしです。
こんな機会に何か書いてもらいなさいと促してきたので、マザー・テレサに
こんなことを書いて欲しいと手帳をひろげて差し出しました。
マザー・テレサは頼んだメッセージは書かず、自分なりの言葉を書いて
返してくれました。
ああ、何てこの人は、自分なりに意固地なほど強い意志を持った女性
なのだなと強く感じました。
目は優しく笑っているようだが、その奥にとても」厳しいものを実感
しました。
その後、シスターの案内で、マザー・テレサが運営しているという
ライ病患者が療養している病院へ行きました。
病院といっても設備は粗末で、ベッドはなくコンクリートの上で患者は
寝ていました。
隣の部屋では、職員が水圧の高いホースの水で床を掃除していました。
ガイドは悲しげに言いました。インドはまだまだ貧しい。今度日本から
メンバーが来られる時は、使い古しの着るものを持って来てもらえれば
どんなに有難いことか。
ホテルからマザー・テレサの祈りの家へ行くのにタクシーを拾いました。
カルカッタ市内の人ごみの喧騒の中を、乱暴に運転する車の前の席
のシートにしがみついて、やっと降りた時手を見ると、爪の間が真っ黒に
なっていたのに気がつきました
日本とのあまりの格差に、カルチャーショックを受けました。
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マザー・テレサに合えたのもこんな方法で。
先回、日本から行った70名が、マザー・テレサにお会いした話を
しました。
それには、前もった準備がありました。
インド・ピースツアーが出発する2ヶ月前、私はセレモニー開催と
ピースポール建立の準備のためカルカッタ(コルコタ)へ行きました。
インド最大の都市カルカッタ(コルコタ)は、20世紀始めの英国
植民地インドの首都として栄え、独立後も産業・商業の中心地で、
人口約900万人の都市です。
初めての都市で右も左も全く不案内です。
来る前に航空会社の友人の友人である貿易商が唯一の頼りでした。
着いて直ぐその人を訪ね、キリスト教会の神父さんを紹介して
もらいました。
その人からいろいろな人に繋がり、やっと段取りが整いました。
やれやれと安堵したのも間もなく、何故かわからないがマザー・
テレサのことが頭に浮かんできました。
そうだ彼女はカルカッタ(コルコタ)に住んでいると聞いたことが
あります。
早速、英語とベンガル語を話せるガイドさんに頼んでマザー・テレサ
の祈りの家へ連れて行ってもらうことにしました。
ガイドさんが言うのには、彼女は世界中を飛び回っており、あまり
カルカッタには居ることがないと。
叩けよ、されば開かれん!
兎に角行ってみようと彼を引っ張り出しました。
着いたところは、ぐるりと塀に囲まれた粗末な修道院のようなところ
です。
勝手口のような扉を見つけ、どんどんと叩きました。
暫くしてシスターとおぼしき少女が顔を出したので、訪問の意図を
言って、日本からマザー・テレサに会うために来たと告げました。
ぜひお会いしたい旨を、強く訴えました。
数分後、少女がまた顔を出し、先生はお会いするからと言いました。
わあ、なんとラッキィ!飛び上がらんばかりの気持ちです。
案内してくれた部屋は、四畳半ぐらいのところで、木製の小さな机の
上に書類が数センチほど重ねてありました。
隅には、ロンドンから来たという記者が座っていました。
挨拶もそこそこ、世界平和の祈りのことやその展開振りを説明
しました。
2ヶ月後に、日本から70名ほどのピース・ミッションがここを訪れ、
マザーと一緒にぜひお祈りできることを切望していると懸命に口説き
ました。
マザー・テレサは、その頃カルカッタに居ればお会いしましょうと言って
くれました。
その時感じました。これは私の意向が成さしめたのではなく、みんな神の
み計らいによるものだと。
横のガイドは感激のしっぱなしです。
こんな機会に何か書いてもらいなさいと促してきたので、マザー・テレサに
こんなことを書いて欲しいと手帳をひろげて差し出しました。
マザー・テレサは頼んだメッセージは書かず、自分なりの言葉を書いて
返してくれました。
ああ、何てこの人は、自分なりに意固地なほど強い意志を持った女性
なのだなと強く感じました。
目は優しく笑っているようだが、その奥にとても」厳しいものを実感
しました。
その後、シスターの案内で、マザー・テレサが運営しているという
ライ病患者が療養している病院へ行きました。
病院といっても設備は粗末で、ベッドはなくコンクリートの上で患者は
寝ていました。
隣の部屋では、職員が水圧の高いホースの水で床を掃除していました。
ガイドは悲しげに言いました。インドはまだまだ貧しい。今度日本から
メンバーが来られる時は、使い古しの着るものを持って来てもらえれば
どんなに有難いことか。
ホテルからマザー・テレサの祈りの家へ行くのにタクシーを拾いました。
カルカッタ市内の人ごみの喧騒の中を、乱暴に運転する車の前の席
のシートにしがみついて、やっと降りた時手を見ると、爪の間が真っ黒に
なっていたのに気がつきました
日本とのあまりの格差に、カルチャーショックを受けました。
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