沖縄・始めての海外旅行

沖縄って海外旅行?

1960年台の沖縄は、アメリカの統治下にあり沖縄へ行くには、旅券
にあたる渡航証明書が必要でした。

航空機はダグラスDC6Bという64人乗りのプロペラ機でした。
出発空港は大阪伊丹空港で施設もお粗末で、戦後に建てられた
米軍のカマボコ兵舎が並んでおり、そこを入管や税関が使っていました。

現在に比べると当時の機内食はフルコースで豪華なものでした。
3時間余りの沖縄への旅は見るものすべてが大変珍しく驚きの
連続でした。

プチ・アメリカ、Welcome to コザ

その頃勤めていた航空会社の沖縄支店があるコザへ行きました。
当時東南アジアに就航していたノースウエスト航空やアメリカ系会社の
支所が集まっており、美しくディスプレイされたブティックや日本国内では
見れないハイセンスな品々を陳列した店々が並んだショッピング・スクエア
に沖縄支店がありました。

コザの大通りは、嘉手納基地に近いせいか、道行く人の9割がたは
アメリカ人でした。
ライブハウス(クラブ)が軒を並べ、呼び込みも激しく独特の雰囲気の
街でした。

現在は市町村合併によってコザという地名が消え、沖縄市になっている
そうです。
コザの一帯は、現在独自な文化を誇る沖縄の中でもとても個性的な
街だといわれています。

首里城は蘇る

戦前の首里城はアメリカ軍の猛烈な砲撃を受け炎上し、その姿を
完全に消していました。

当時首里城のある丘は、琉球大学のキャンパスになっており、守礼門
は修復中でした。
石垣の端に腰をかけて、沈み行く夕日をぼおっと眺めていました。

現在首里城は、繁栄を誇ったかっての琉球王国を彷彿とさせる元の
姿に復元されており、日本と中国の建築様式を見事に取り入れた
沖縄文化の独自性をよく顕わしています。

またグスクと呼ばれる沖縄の城跡も首里城とともに沖縄の歴史・文化
を象徴するもので必見です。
それらは2000年に世界遺産として文化遺産に登録されました。

ぜひ見たい周辺の文化財

首里城以外にも、沖縄には歴史的建造物や史跡がいろいろあり、
沖縄らしい景観を与えています。

龍潭(りゅうたん)

琉球を始めて統一した尚王が造らせた池。
この池に船を浮かべ、水面に映る美しい首里城の姿を眺めながら
中国の皇帝の使者を歓待したといわれています。

金城町の石畳道

昔の風情を漂わせる16世紀の主要道路として造られた石畳道です。

円覚寺

琉球隋一の寺院。

末吉宮(すえよしぐう)

かって琉球八社の一つ。社壇と呼ばれています。

玉陵(たまうどん)

祈りによる世界運動を推進する昌美会長のご先祖、尚王統を祀る
王基(お墓)です。その規模の立派さには驚きます。


何でもそろっている闇市場の賑わい

今や賑やかな国際通りは、店も貧弱で通る人の数も少なく、通りから
入った闇市場の方が活況を呈しており、あらゆる品々が乱雑に並び
興味深かったです。

現在、闇市場は平和通り、市場本通りとなっています。
戦前は淋しい湿地地帯でしたが、戦後、旧市街が米軍に接収されたため
ここにバラックや闇市場が自然発生的に出来始め、やがて一大商店街
となりました。
いまは立派なアーケードも設置され、地元の人や観光客で賑わっています。

市場本通りから続く牧志公設市場には、あらゆる食材が売られており、
2階は食堂街になっていて沖縄ならではの家庭料理が満喫できます。
調理料金を払えば、1階で買った食材を料理してくれる店もあります。

盛り場と裏町酒場

沖縄支店の友人が連れて行ってくれたのは、コザ十字路にある盛り場の
酒場でした。
そこで初めて爆弾飲みというのを体験しました。
ウイスキーか焼酎を満たしたグラスをビールを入れたタンブラーの底に
落とし、それを一気に飲むのです。
お陰で翌日は一日中ゲーゲと嘔吐に苦しみ、終日部屋で伏せてしまう
有様、情けない限りでした。

琉球料理、琉球舞踊、これぞ沖縄文化だ

当時は料亭の数も少なく、しかもそこで出される琉球料理がとても
珍しいものばかりでした。
豚の角煮などの豚肉の料理が多く、これが美味というものかと
感激したのを思い出します。

琉球料理に舌鼓を打ちながら楽しむゆったりと舞う琉球舞踊と、艶やかな
紅型衣装に身を包む舞姫たち、三味線(じゃみせん)が奏でる独特の旋律
に酔いしれました。

悲惨な傷跡・南部戦跡(摩文仁の丘)

沖縄戦が終結した傷跡を残す南部戦跡へ初めて訪れました。
車から降りて、沖縄守備軍の牛島司令官が自決した摩文仁の丘までの
道は険しく、あたりに何もないないところをふうふういって上りました。

現在の摩文仁の丘一帯は、整備され、悲惨な戦争を後世に伝え、二度と
繰り返すことがないよう平和記念公園になっています。
太平洋を見渡す絶景の地に各都道府県が競って建てた沢山の慰霊塔が
点在しています。
沖縄戦で亡くなられたすべての人々の氏名が刻まれた碑「平和の礎」が
海に向かって整然と建てられています。

ひめゆりの塔は黙して語らず

県立第一高等女学校と沖縄師範学校女子部の生徒と職員210名で成る
「ひめゆり部隊」の学徒たちがアメリカのガス弾を浴びて亡くなった御霊
を祀っている「ひめゆりの塔」も周りにまだ柵もなく、覗き込むと黒い洞穴
に今にも吸い込まれそうな錯覚にとらわれました。
こんなところでうら若き乙女たちが、悲惨な最期を遂げたのかと思うと
唯々涙するのみでした。

この世のパラダイス、紺碧の空と海と白砂ビーチ

泊まった旅館の手伝いに来ていた彫りの深い可愛い女の子の案内で、
渡具知ビーチというところへ行きました。
那覇から車で30分の観光客の少ない穴場的なサンドビーチでした。
きらきらとエメラルド色に輝く、青く透き通った海と紺碧の空。
わあ、何てきれいな海と波打ち際ではしゃぐ二人は、沖縄のアバンチュール
を存分に楽しみました。
お陰で帰国が2日延び、帰ってから上司に絞られること、絞られること。
今は懐かしく若い頃の想い出で、感慨ひとしおです。



hirokame1 at 23:30 │Comments(0)TrackBack(0)clip!旅行記  | 沖縄

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